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        <title>欧州エキスプレス体験談</title>
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            <title>バスクの民に幸あれ(197４年８月の旅)-Part2</title>
            <description><![CDATA[<p><font color="#330000" size="5"><font color="#0000ff"><strong>ピレネー地方に住む<br /></strong></font><font color="#ff0000" size="+1"><font color="#ff0000"><font size="+2">　</font></font></font><font color="#ff0000"><font size="-1"><font size="+3">バスクの民に幸あれ</font></font></font><font color="#ff0000" size="+1"><font size="+2">(197４年８月の旅)</font><font color="#000000"><font color="#0000ff" size="+3"><font color="#000000" size="+2"><font size="+1"><font color="#ff0000" size="+3"><strong>-Part2</strong></font></font></font></font></font></font><br /><br /><font color="#0000ff" size="+2"><font color="#0000ff" size="+2"><font color="#0000ff"><strong><font size="+3">いよいよピレネー越え<br /></font><font size="+2">　</font></strong></font><font color="#000000"><font color="#330000" size="+2"><strong>さて定時になって駅に戻ると、お目当ての列車が見当たりません。変だなと思っていたら、傍のオバサンが「あのバスだよ！」と指さして教えてくれました。何とまあ、ここからは鉄道が廃線となっていて、バス輸送に切り替わっていたのです。これは定評がある「トーマス・クック社」の時刻表にも、記載がありませんでした。慌てて乗ると、車内はすでに満席です。幸か不幸か、私たちは最全部の席に座りました。ふと隣りを見ると、最前のオバサンと連れの娘さんが座っています。その娘さんの顔をみて、アッっと驚きました。彫刻のような整った顔は、ミロのヴィーナスそっくりです。なるほどヴィーナスは彫刻だけでは無く、現実にいるんだなと納得しました。そのお嬢さんは空色の瞳をして、ニッコリ微笑んでくれました。バスは一路、ピレネーの峠を目ざして登ります。右手には、廃線になった線路が見えます。鉄道で行くと長いトンネルのピレネー越えも、バスはゆっくり峠を登ります。古い褶曲山脈のピレネーには、所々に氷河が削ったカール（圏谷）が見えます。緑なす草原には、羊の群れが白い点々を描いています。ここは正に、山バスクの故郷のようです。<br />バスは、フランス側の国境に着きました。当時の人気俳優「アラン・ドロン」のようにハンサムな係官が、バスに乗り込んで来ました。乗客のパスポートを一人一人チェックしています。どうやら異邦人は、私たちだけのようです。一瞬いやな予感がしました。果せるかな「ドロン氏」は、私たちのパスポートを持って降りて行ってしまいました。さあ、困ったぞ。一瞬、私の顔が曇ったらしい。それを見たヴィーナス嬢が「大丈夫よ！」と、目で合図してくれます。窓から外の監視員小屋を眺めると、先ほどのドロン氏が何やら電話で話しています。どうやら私たちのパスポートを、当局に照会している様子です。思わずバスを降りて説明にと腰を挙げると、回りの人たちが「大丈夫だ、じっとしていろ」と制してくれます。そこには言葉は通じませんが、温かい友情を感じました。私たちの事情で大勢の乗客を待たすのも、何とも申し訳ありません。１５分も経ったでしょうかでしょうか、ドロン氏がパスポートを手に戻って来ました。彼は「ボン！（いいよ）」と言って、私たちにパスポートを返してくれました。車内には、一瞬安堵の空気が流れました。帰国してから判明したことですが、当時は赤軍派なる人々が偽装にアベックを装って海外を移動していたとのことでした。私たちも、その嫌疑に懸ったのかもしれません。隣りのヴィーナス嬢に「フィニ？（終わったの）」と聞くと、「ウイ、フィニ（そうよ、終わったのよ）」とニッコリ答えてくれました。空色の瞳は、ピレネーの空の色そのものでした。誰か後ろの方で、「ハポネス（日本人）！」と言う声がしました。みんなが一斉に笑ったので、「ここにも、日本人がいるぞ！」と冗談を言ってたようです。<br />　さて、バスは鞍部の「ソンポール峠」に着きました。今度は、スペイン側の役人が現れました。一瞬緊張しましたが、こちらは何も調べず運転手と冗談を言って無事に通してくれました。後で調べると、この峠はスペインの聖地「サンチャゴ・デ・コンポステーラ」への巡礼の道（星の道）でした。</strong></font></font></font></font></font></p>
<p><font color="#330000" size="5"><font color="#0000ff" size="+2"><font color="#0000ff" size="+2"><font color="#000000"><font color="#330000" size="+2"><strong><img height="379" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/basuku/Scan10491.JPG" width="270" border="0" />　　<img height="334" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/basuku/Scan10492.JPG" width="473" border="0" /></strong></font></font></font></font></font></p>
<p><font color="#330000" size="5"><font color="#0000ff" size="+2"><font color="#0000ff" size="+2"><font color="#000000"><font color="#330000" size="+2"><strong><font color="#0000ff">ピレネーの麓に立つ私も若かった。スペイン側の地形は、荒涼としていました。<br /><br /></font><font color="#3333ff" size="+3"><font color="#3333ff" size="+3"><font color="#3333ff" size="+1"><font color="#3333ff"><font color="#3333ff"><font color="#3333ff"><b><font color="#3333ff" size="+3">ピレネーを越えると、そこはアフリカだ</font></b></font></font></font></font></font></font><br /><b><font size="+2">　バスが峠を越えると、辺りの風景は一変しました。途端に緑の草原が消え、荒々しい大地が現れました。バスは両側を崖に挟まれた道を、ひたすら下ります。古来から曰く、「ピレネーの向こうは、アフリカだ」の言葉どおりの風景です。川の流れにも、水がありません。乾いた大地には、農業は不向きのようです。下ること１時間余で、麓の町「Canfranc」に着きました。ここから再び、列車の旅に変わります。ホームでヴィーナス嬢とオバサンにお礼を言って、列車に乗りました。乗ること３０分で、列車は「Jaka（ハカ）」に着きました。そろそろ夕方になり、今夜はここで１泊することにしました。予約無しのホテルは満室でしたが、近所の「アビタシオン（民宿）」を紹介してくれました。ここハカは、スペイン内戦の時代に共和国側で戦ったイギリスの作家「ジョージ・オーウェル」が負傷した場所だと後に知りました。旅に出ると、得てしてこんな事があります。かくして、ピレネー横断の旅を無事に終えることができました。</font></b></strong></font></font></font></font></font></p>
<p><font color="#330000" size="5"><font color="#0000ff" size="+2"><font color="#0000ff" size="+2"><font color="#000000"><font color="#330000" size="+2"><strong><img height="394" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/basuku/Scan10493.JPG" width="278" border="0" />　　<img height="638" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/basuku/Scan10494.JPG" width="452" border="0" /></strong></font></font></font></font></font></p>
<p><font color="#330000" size="5"><font color="#0000ff" size="+2"><font color="#0000ff" size="+2"><font color="#000000"><font color="#330000" size="+2"><strong><font color="#0000ff">突然列車が停まると、前方の線路に大きな岩が落ちていました。線路は間もなく復旧して、無事にビルバオに着きました。北部バスクの中心地「ビルバオ」は、スペイン有数の工業都市です。<img height="264" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/basuku/Scan10495.JPG" width="378" border="0" /></font></strong></font></font></font></font></font></p>
<p align="center"><font color="#330000" size="5"><font color="#0000ff" size="+2"><font color="#0000ff" size="+2"><font color="#000000"><font color="#330000" size="+2"><font color="#0000ff"><strong>ビルバオの中心街です。<br /><font color="#0000ff"><font size="+3">バスクの聖地「ゲルニカ」を訪ねる</font></font></strong>　<br /><font size="+2"><strong>　ピレネー山地に住む「山バスク」に対して、ビスケー湾沿いに「海バスク」があります。私たちは北部バスクの中心地「ビルバオ」に滞在して、バスクの聖地「ゲルニカ」を訪ねることにしました。「ゲルニカ」と言えば、画家ピカソの名作に名を残しています。スペインの内戦時代に選挙で選ばれた正統な政府に反旗を翻したフランコ軍は、１９３７年４月ナチス・ドイツ空軍の応援で共和国側バスクの聖地「ゲルニカ」を爆撃し民間人に多くの犠牲者を出しました。これ以後の第二次世界大戦で激化した「無差別爆撃」の嚆矢が、ここに見られます。画家「ピカソ」はこれに抗議して、名作「ゲルニカ」を製作したことは余りにも有名です。<br />いよいよゲルニカ訪問の日を迎えて、当日の朝ビルバオのホテルを出ました。事前の調べでは、ビルバオからゲルニカへ鉄道があるはずです。とりあえず、タクシーで駅へ向かいます。駅に着いたのですが、あいにく列車が出たところでした。よく考えたら、このままタクシーで行っても遠くはないはずです。運転手に「ゲルニカ」までと言うと、彼も喜んで同意してくれました。車は内陸の山地を走ります。辺りの風景は、さながら長野の山奥にそっくりです。この地方には松が多いのも、日本の風景を想わせるのでしょうか。<br />途中の「アモールアヴィエルタ（開いた愛？）」から道は左に折れ、一気に山地を下りました。走ること３０分余で、まもなく「ゲルニカ」の市街地に入りました。赤い屋根の家並みが続く中心部には国会議事堂があり、中庭にはバスク自治の象徴である「聖なる樫の木」がありました。案内を乞うと、若い女性が現れました。突然の訪問にも拘わらず、彼女は心良く案内に応じてくれました。彼女自身も黒い眼に黒髪で、典型的なバスク人のようです。議事堂内に入ると、分かりやすい英語で説明してくれました。壁にはバスク出身の著名な人々が、肖像画になって飾られています。バスク人と言えば、何よりもまず日本にキリスト教を伝えた「フランシスコ・ザビエル」がいます。彼はピレネー山麓の「ザビエル城（スペイン語で、ハビエル）」で、城主の子として生まれました。そのザビエルについて聞いてみましたが、私の発音が悪かったのか答えがありませんでした。そう言えば世界一周のマゼランが途中のフィリッピンで死んだ後、部下を率いて一周を成し遂げたのもバスク人の「エル・カノ」です。バスクの人々は中南米を初め世界中に、移民として移り住んでいます。その数は、本国にいる人よりも多いかも知れません</strong></font></font></font></font></font></font></font></p>
<p align="center"><img height="427" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/basuku/Scan10496.JPG" width="303" border="0" /></p>
<p align="center"><strong><font color="#0000ff" size="5">バスクの議事堂前に立つ妻と、案内のバスク嬢です。それにしても、体型がずいぶん違いますね。二人の後ろには、バスク自治の象徴である「聖なる樫の木」が立っています。</font></strong><br /><strong><font color="#0000ff" size="5">バスクの議事堂前に立つ妻と、案内のバスク嬢です。それにしても、体型がずいぶん違いますね。二人の後ろには、バスク自治の象徴である「聖なる樫の木」が立っています。</font></strong><br /><strong><font color="#0000ff" size="5">バスクの議事堂前に立つ妻と、案内のバスク嬢です。それにしても、体型がずいぶん違いますね。二人の後ろには、バスク自治の象徴である「聖なる樫の木」が立っています。</font></strong><br /></p>
<p align="center"><font color="#330000" size="5"><font color="#0000ff" size="+2"><font color="#0000ff" size="+2"><font color="#000000"><font color="#330000" size="+2"><strong><img height="384" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/basuku/Scan10497.JPG" width="269" border="0" /></p>
<p align="center"><br /><strong><font color="#0000ff">ゲルニカの広場を背後に立つ妻です。<br />この辺りも、ナチス空軍の猛爆で破壊されたのでしょうか。</font></strong><font size="+2"><br /><br /></font><img height="534" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/basuku/Scan10499.JPG" width="380" border="0" /><br /></p></strong></font></font></font></font></font>
<p><font color="#330000" size="5"><font color="#0000ff" size="+2"><font color="#0000ff" size="+2"><font color="#000000"><font color="#330000" size="+2"><strong>&nbsp;</p>
<p align="center"><strong><font color="#0000ff">ローカル駅の「アルサスア」です。左に妻の姿が見えます。<br /></font><font size="+3">バスク独立の悲願</font><br /></strong>　<font size="+2"><b>バスクには、４＋３＝１という言い伝えがあります。これはスペイン側バスクの４州と、フランス側バスクの３州が独立すれば一つになると言う意味です。過去にもバスク独立の試みは、たびたびありました。近年では１９３６年に、スペインで選挙による「共和制政府」が樹立された時のことです。これを絶好の機会として、バスクでは自治共和国を誕生させました。一度は独立したバスク共和国は、フランコ独裁政権により直ちに倒されました。その象徴として、フランコを支援したドイツ空軍によるバスクの首都「ゲルニカ」の爆撃がありました。これに抗議して、画家ピカソは名画「ゲルニカ」を描きました。<br />議事堂の見学を終えた私たちは、街の広場に向いました。昼下がりの広場には、バスク人が三々五々としてベンチに憩っていました。年輩の男性は、いずれもバスクの象徴である「ベレー帽」をかぶっています。今は平和な町並みにバスク独立の達成を願って、ゲルニカを辞去しました。<br />スペイン・フランス両国にまたがるバスクの独立は、今日でも達成されていません。近年では「バスク独立連盟」が、テロによる独立運動を続けています。バスクの地に独立が訪れることを、心から祈ってこのページを終わりに致します。</b></font><br /><img height="391" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/basuku/Scan10500.JPG" width="560" border="0" /><br /><strong><font color="#0000ff">ピレネー山麓のパンプローナは、さながら桃源郷でした。<img height="399" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/basuku/Scan10502.JPG" width="561" border="0" /></font></strong></p>
<p align="center"><strong><font color="#0000ff">スペインからフランスに入る車両は、ジャッキでも持ち上げて線路幅が違う台車を交換していました。この間に乗客は乗ったままで、実に珍しい風景です。</font></strong><font size="+2"><br /><br /><img height="418" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/basuku/Scan10503.JPG" width="789" border="0" /><br /><strong><font color="#0000ff">スペイン国鉄（ＲＥＮＦＥ）発行の予約券です。<br />ビルバオから、ミランダまでの座席券のようです。</font></strong><br /><br /></font></p>
<p align="center"><br /><br /><br />&nbsp;</p></strong></font></font></font></font></font>]]></description>
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            <pubDate>Wed, 20 May 2009 12:50:52 +0900</pubDate>
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            <title>バスクの民に幸あれ(197４年８月の旅)-Part1</title>
            <description><![CDATA[<p><font size="5"><font color="#0000ff"><strong>ピレネー地方に住む<br /></strong></font><font color="#ff0000"><font color="#ff0000">　</font></font></font><font color="#ff0000"><font size="-1"><font size="+3">バスクの民に幸あれ</font></font></font><font color="#ff0000" size="+1"><font size="+2">(197４年８月の旅)</font><font color="#000000"><b><font color="#0000ff" size="+3"><font color="#000000" size="+2"><font size="+1"><font color="#ff0000" size="+3">-Part1</font></font></font></font></b></font></font><font color="#000000" size="+1"><font color="#000000"><b><font color="#0000ff" size="+3"><br />　</font></b></font><font color="#000000" size="+1"><b><font color="#000000" size="+2">それは、少年時代のことだったか。フランスとスペインの国境に、「バスク」という人々が住んでいることを聞きました。またラジオからは、「ピレネーの山の男よ、いつも独り雲の中に、、、」なるメロディーが耳に響いてきました。バスクの人々はヨーロッパ最古の民族で、彼らが愛用していた帽子が「ベレー帽」として世界に広まったと言います。いつしか私の夢は憧れとなり、遥かバスクの地に飛んでいきました。<br />さて１９７４年のヨーロッパ旅行で、そのバスクの地を訪れる機会を得ました。この章を、私が愛してやまない「バスクの民」に捧げます。（なお当時の写真を使用していますので、鮮明でないことをお詫び致します）<br /><img height="326" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/basuku/Scan10501.JPG" width="465" border="0" /></font></b></font></font></p>
<p><font color="#000000" size="+1"><font color="#000000" size="+1"><b><font color="#000000" size="+2"><font color="#0000ff">スペイン側の麓「パンプローナ」から、フランス国境のピレネーを遠望しました。</font><font color="#000000" size="+2"><br />　<br /></font><font color="#0000ff" size="+3">フランス側から、バスクを目ざす<br />　</font><font color="#330000" size="+1"><font size="+1"><b><font size="+2">パリから南下した私たちは、南フランスのツールーズからピレネー山麓の町「Pau（ポー）」に着きました。駅の背後の丘に登ると、公園のテラスから憧れのピレネーの山並みが遠望できました。雲の間から顔を見せた峰々に、心は早くもピレネーに飛んでいました。さてポーに一泊した翌朝、列車でピレネー越えに挑戦しました。大きなドームを戴いたポー駅のホームに出ましたが、定時になってもこれと言った列車が見当たりません。ふと遥か彼方のホームの端に、２両編成の古い電車が停まっています。もしや？と思って近づくと、これが何とピレネー越えの列車でした。電車の車体は木造で、戦前の我が国の電車を思わすものがありました。ポーを発車した列車は、一路ピレネーを目指して平野から谷に分け入ります。途中の「サンジャン・ピエ・ドォポ」から、列車は「ガーブ川」に沿って進みます。谷の間から、ピレネーの峰々が顔を覗かせています。終点の「Bedous」で降り草原を横切ると、ガーブ川の渓流にでました。静流に足を浸していると、小学生の一団がやって来ました。妻が駅に戻ると、サンドイッチにバナナとミルクを買ってきました。<br /></font></b></font></font><img height="444" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/basuku/Scan10504.JPG" width="317" border="0" /><img height="445" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/basuku/Scan10490.JPG" width="321" border="0" /></font></b></font></font></p>
<p><font color="#000000" size="+1"><font color="#000000" size="+1"><b><font color="#000000" size="+2"><font color="#0000ff">フランス側から列車は、ピレネーの谷に入って行きました。右はピレネー山麓に立つ妻です。ミニスカート姿の妻は、２０歳代の後半でした。</font><br /><br /><br /></p></font></b></font></font>]]></description>
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            <pubDate>Wed, 20 May 2009 12:46:44 +0900</pubDate>
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            <title>ハンニバルが超えた峠　／　ブリアンソン訪問記　その2</title>
            <description><![CDATA[<p align="center"><font size="+2"><b><font color="#0000ff" size="+3">ハンニバルが越えた峠</font></b></font><br /><font color="#ff0000" size="+4">ブリアンソン訪問記（Briançon)-part2 </font><b><font color="#ff0000" size="+2">１９９９年１０月７日～１５日</font></b><br /><font color="#0000ff" size="+3"><br />ブリアンソンの日々<br /></font><font color="#000000"><b><font color="#000000" size="+2">　ここブリアンソンでは、ホテル「ヴォーヴァン」に１週間滞在しました。市街地の背後にはアルプスの山々が聳え、ハンニバルが越えたと言われる「モン・ジュネーブル峠」を経てイタリアのトリノに至ります。折しも１０月のシーズンオフに入り、バスやケーブルは休止に入ったとのことです。一瞬お先真っ暗になりましたが、幸いにもホテルの主人「アンドレ」が毎日自分の車で峠まで連れて行ってくれました。朝１０時過ぎにアンドレが休憩に入ると、彼の車で３０分ほど山の上に連れて行ってくれました。車を降りた私は山道を２時間ほど歩いて、麓のホテルに戻るトレッキングを毎日楽しみました。アンドレのホテルは、この辺りでは由緒ある立派なホテルでした。フランスのホテルはシャワーが多く、旅に出て約１か月になりますがお風呂に入ったことがありませんでした。アンドレは「最高の部屋を用意していました」と、風呂付の部屋を準備してくれていました。夕食もホテルのレストランで摂り、ウェイトレスのクリスティーナとも馴染みになりました。アンドレは夕食時に顔を見せ、自分の名前を付けた特製のカクテル「アンドレ」を御馳走してくれました。いとも妙なる味に「ベースはなんですか？」と聞きましたが、「企業秘密です」との答えでした。アンドレは英語を話すので、いろいろと話題が弾みました。また彼は日本文学にも関心を持ち、川端康成の「雪国」をフランス訳で読んでいました。「あの舞台は、私の故郷ですよ」と言うと、とても喜んでくれました。<br /><br /><img height="540" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/han-nibaru/Scan10374.JPG" width="362" border="0" /> 　　　　　　<img height="535" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/han-nibaru/Scan10375.JPG" width="360" border="0" /><br /></font><font color="#0000ff" size="+2">街の中心から、背後の山の砦が見えました。　　　　ホテルの横を、デュランス川の支流が流れていました。<br /><br /><img height="355" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/han-nibaru/Scan10376.JPG" width="531" border="0" /><br />アンドレの車で背後の山へ上がると、南フランスの「ドーフィネ・アルプス」の高峰が見えました。<br />シーズンが終わった村には人影が見えず、住民は麓に降りたようでした。<br /><br /></font><font color="#0000ff" size="+3">いよいよ峠を目ざす<br /></font></b></font><b><font size="+2">　さて１０月１４日（木）、いよいよハンニバルが越えたと言われる「モン・ジューネーブル峠」を目指す日を迎えました。幸いにも、天気は上々です。朝食後に、フロントでタクシーを頼みました。今日は、アンドレの車を頼る訳にはいきません。アンドレの友人「リシャールさん」が、愛車のルノーで迎えにきました。ヨーロッパのタクシーは、日本と違って助手席に坐ります。運転手のリシャールの隣りに坐って、いよいよ出発です。車は街の中央を走る通りに出ると、ここから急坂を一気に登ります。この道は真っ直ぐに上の街に至りますが、後日歩いてみたら息が切れるほどの急勾配でした。アルプスの麓にあるブリアンソンは、冬は大雪に埋まるはずです。冬の登りはさぞかしと、大変さが偲ばれました。さて上の街を通過すると、道はイタリア国境へと登ります。急勾配の山道を、リシャールは巧みなハンドルさばきで進みます。狭い車道に対向車が心配ですが、リシャールは前方を覗きながら車を進めます。イタリア側から荷物を運んできた大きなトラックと、時たま行き違います。前方が開けると、「モン・ジュネーブル峠」の頂上に着きました。車を停めて貰い辺りを歩くと、ナポレオンがアルプス越えをした記念碑がありました。また歴史書によれば、今を去ること２０００数百年前にハンニバル一行は３７頭の象を連れてスペインを出発したそうです。厳しい峠越えでたくさんの象を失ったそうですが、ともかく何頭かの象は峠を越えてイタリアに入りました。これを快挙と呼ばずにはいられません。峠の頂上でハンニバル一行を偲び、しばし感慨に耽りました。<br />　さて国境には検問所がありましたが、ＥＵ（ヨーロッパ連合）が出来てから空き家になっていると言うことでした。私たちも国境の検問無しで、イタリア側へ入りました。道が途端に下りになると、車は一気に走ってイタリア最初の村に入りました。リシャールに車を停めて貰い、村のカフェに入りました。マダムが迎えてくれたので、ここでは「ボン・ジョルノ！（コンニチハ）」とイタリア語で挨拶をしました。リシャールとコーヒーを飲んで、再び車に戻りました。近くのスキー場「セストリエーレ」は、先年のトリノ・オリンピックでスキー会場になりました。<br />再び往路を戻り、アッと言う間にフランス側へ入りホテルに戻りました。かくして念願の「ハンニバルの峠」越えを果たし、満足したブリアンソン訪問でした。因みに、タクシー代はチップ込みで約２万円だったでしょうか。それだけ払う価値がある峠越えでした。<br /><img height="692" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/han-nibaru/Scan10378.JPG" width="481" border="0" /></font></b><br /><br /><font color="#0000ff"><b><font size="+2">デュランス川上流の谷から、「モン・ジュネーブル峠」を望みました。正面の山は、イタリア側の山です。手前の橋は、ルイ１４世が造ったと書かれていました。</font></b></font><b><font color="#0000ff" size="+1"><br /><img height="502" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/han-nibaru/Scan10379.JPG" width="337" border="0" />　<img height="368" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/han-nibaru/Scan10380.JPG" width="550" border="0" /><br /></font><font color="#0000ff" size="+2">峠には、ナポレオンの記念碑が建っていました。車はリシャール自慢のルノー製タクシーです。峠の上には国境の検問所がありましたが、無人でした。ここから、イタリア領が始まります。<br /><br /><img height="332" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/han-nibaru/Scan10381.JPG" width="495" border="0" /><br />ホテルへ戻ると、赤ワインで乾杯をしました。主人のアンドレが、撮影してくれました。<br /><br /></font>　<font color="#000000" size="+2">なおハンニバルが越えて峠については、諸説があります。北はグルノーブルを経由した「サン・ベルナール峠」から、南は「トラベル・セッテ峠」を越えたと言う説など議論百出です。この論争は今日でも決着が着かず、多くの書物が発行されています。私はここでは、「モン・ジュネーブル峠説」をとりました。<br /></font></b></p>]]></description>
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            <pubDate>Thu, 25 Dec 2008 14:40:37 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>ハンニバルが超えた峠　／　ブリアンソン訪問記　その1</title>
            <description><![CDATA[<p align="center"><font color="#0000ff"><b><font size="+3">ツノピーこと<br />角田昌夫お勧めの旅</font></b></font></p>
<p align="center"><font size="+2"><b><font color="#0000ff" size="+3">ハンニバルが越えた峠</font></b></font><br /><font color="#ff0000" size="+4">ブリアンソン訪問記（Briançon)-part1 </font><b><font color="#ff0000" size="+2">１９９９年１０月７日～１５日</font></b><br /><b><font color="#000000" size="+2"><br />　いつの頃だったか、南フランスにカルタゴの名将「ハンニバル」が象を連れて越えた峠があると聞きました。紀元前２１８年スペイン南部のカルタゴ領から、ハンニバルは４万６０００名の兵に象３７頭を連れてイタリア遠征の途に着きました。ハンニバルの軍は、南フランスのローヌ川を渡り象とともにアルプスの峠を越えました。イタリアに入ったハンニバルは南イタリアの「カンネー」でローマ軍を破り、名将の名前を歴史に残しました。１９９９年のフランス旅行で、ハンニバルが越えた峠を目ざし麓の町「ブリアンソン」に滞在しました。<br /><br /><img height="417" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/han-nibaru/Scan10377.JPG" width="664" border="0" /><br /></font><font color="#0000ff" size="+2">背後の山から見下ろした「ブリアンソン」の市街です。町を守る砦を前に、背景にはアルプスの高峰が見えます。<br /></font><font color="#000000" size="+2"><br /></font></b><font color="#0000ff" size="+1"><b><font size="+3">名曲「川は呼んでいる」</font></b></font><br />　<b><font color="#000000" size="+2">私の青年時代に</font><font size="+2">、フランス映画「川は呼んでいる」が公開されました。映画は南フランスのデュランス川を舞台に、ダム建設にまつわる少女「オルタンス」を主人公としたストーリーでした。その主題歌「川は呼んでいる」は、軽快なメロディーで日本でも大ヒットしました。「デュランス川の流れのように、走れ走れ可愛いオルタンスよ！」の軽快な歌詞を覚えている方もいると思います。「デュランス川とハンニバル」と聞き、私の夢は膨らみました。<font color="#000000"><br /></font>　さて出発地の「ヴァランス（Valence）」は、フランス南部の「ローヌ川」の谷にあります。列車で一路ローヌの谷を下った私は、１３時過ぎにヴァランスの駅に着きました。ここからマルセーユ方面への本線と分かれ、ブリアンソン行きの路線が出ています。発車の時間にはまだ早いので、駅ビル内のカフェでビールとサンドイッチを摂りました。周りはフランス人ばかりで、フランス語が飛び交います。私の即席フランス語でも、何とか用は足りました。<br /><br /><img height="342" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/han-nibaru/Scan10371.JPG" width="513" border="0" /><br /></font><font color="#0000ff" size="+2">トンネルを出ると、目の前にデュランス川のダムが現れました。<br /></font><br /><font color="#0000ff" size="+3">いよいよ、ブリアンソンへ<br /></font><font size="+2">　さて発車２０分前にホームへ行くと、すでに終点「ブリアンソン行き」の列車が入線していました。嬉しいことにフランスでは、ローカル線でもまだまだ機関車牽引の客車列車を走らせています。最後尾の１等車に乗ると、席はガラガラでした。１４時０５分の定時に、列車はゴトリと静かに「ヴァランス」を出発しました。走ることしばし、南に向かってマルセイユ方面の本線を行きます。間もなく本線と別れた列車は、方向を東に向けました。列車は谷を分け入って走りますが、両側の山の露頭は南フランスに特有の白亜の石灰岩です。途中の「Veynes」で南のマルセイユから来る路線と合わさり、この線は北のグルノーブルへ向かいます。列車は更に東へ向かい、１６時にこの地方の中心地「Gap」着きました。ちょうど学生の下校時間に出会ったのか、女子学生の一団が乗り込んで来ました。さて列車は長いトンネルを入ると、その出口にはデュランス川の谷が待っています。地図で調べると、そこに映画に出たダムが現れるはずです。列車がトンネルを出た瞬間、デュランスの谷と憧れのダムと対面しました。思わず、「デュランス川の～」とメロディーを口ずさんでいました。古くからデュランス川は「暴れ川」で有名で、しばしば大洪水をおこしたそうです。これが原因で、ダムが建設されたようです。<br />列車は湖岸をしばし走ると、１７時過ぎに「Embrun」に着きました。この辺りは歴史文献によれば、確かに「ハンニバル」一行が通過しているはずです。ここから上流のデュランス川は急流になり、列車は川を渡りトンネルの潜ります。やがて前方が開けると、列車は１８時１５分ブリアンソン駅に着きました。<br /></font></b><font color="#0000ff" size="+3"><img height="264" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/han-nibaru/Scan10372.JPG" width="418" border="0" />　<img height="262" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/han-nibaru/Scan10373.JPG" width="392" border="0" /><br /></font><b><font color="#0000ff" size="+2">列車は終点のブリアンソン駅に着きました。　　　市内のホテル「ヴォーバン」に泊まりました。４階の右から２番目が、私の部屋です。</font></b><font color="#0000ff" size="+3"><br /></font></p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">フランス</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 25 Dec 2008 14:38:37 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>ノルウェー最北端の駅（１９８６年夏） ナルヴィーク　　　その2</title>
            <description><![CDATA[<font color="#0000ff" size="6"><strong>ストックホルム発、ノルウェー行き<br /></strong></font><strong><font size="+2">　ストックホルムに数日間滞在した後、いよいよ夜行列車でノルウェーを目指しました。選んだ列車は「ノルト・ピレン（北の矢）号」で、ストックホルムを１７時に出発して翌日の午後２時１５分に終点のナルヴィークに着く予定です。さて夕食のサンドウィッチと牛乳を買って、ホームへ出ました。間もなく前方から列車が入線して来ましたが、標準軌とあって電気機関車の巨大さには驚きました。<br />さて定時の１７時に発車した列車は、一路夕暮れのスウェーデンを北上します。早めにベッドに入ると、「ウプサラ」を通過しました。ここには、ヨーロッパでも最古の大学があることを思い出しました。早朝の５時に、列車は「Boden」に着きました。ベッドから抜け出しホームへ降りると、雨煙る外気に夏とは思えない肌寒さを感じました。列車はここから西に転じて、スカンディナヴィアの分水嶺を目ざします。隣りの車両の売店で朝食を買うと、アメリカから来た母子連れに会いました。オスロにいるご主人に逢うのに、わざわざ息子のために列車で遠回りをする意欲には感心しました。沿線の風景は低い灌木に変わり、湿原や草地が続きます。いよいよ北極圏に近づいたようです。９時過ぎでしたか、伐採地の中にケルンが建っていました。ここが正に、北緯６６度３０分の北極圏の始まりのようです。１０時２０分に列車は、イエリバレに着きました。ここも地理の時間に教えた馴染みの場所で、鉄鉱石の産出で有名です。駅の道標にストックホルムから１，３１５ｋｍとありますので、東京から熊本までの距離にあたります。ここで私たちの寝台車は切り離され、前の座席車に移りました。車室の一部にカラフルな部屋があり、聞けば子ども専用のプレイルームとのことに感心しました。やがて左手の遠方に、赤茶けたボタ山と高い塔が見えました。１２時１５分に列車は、お目当ての「キルナ」に着きました。<br /><img height="390" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/narubiku/Scan10458.JPG" width="571" border="0" />　<img height="395" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/narubiku/Scan10459.JPG" width="588" border="0" /><br /><br /></font><font color="#0000ff" size="+2">ストックホルム駅のホームに、ノルト・ピレン号（北の矢）が、入ってきました。</font></strong><font size="+2"><br /><br /><strong><img height="411" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/narubiku/Scan10461.JPG" width="611" border="0" />　<br /></strong><font size="+1"><font color="#000000"><font color="#0000ff" size="+2"><br /><strong>早朝のボーデン駅は、雨に煙っていました。<br />　　　　<br /></strong></font></font></font><strong><img height="398" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/narubiku/Scan10462.JPG" width="589" border="0" /><br /></strong></font><font color="#0000ff" size="+2"><strong>　　　　<br />車窓から北極圏（北緯６６度３０分）の看板が見えました。</strong></font><font size="+2"><br /><strong><img height="525" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/narubiku/Scan10464.JPG" width="359" border="0" />　<img height="263" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/narubiku/Scan10463.JPG" width="392" border="0" /><br /></strong></font><font color="#0000ff" size="+2"><strong>キルナ駅のホームには、寒風が吹いていました。<br />駅からは、キルナの鉱山が見えました。</strong></font>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">北欧</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 25 Dec 2008 14:20:07 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>ノルウェー最北端の駅（１９８６年夏）  ナルヴィーク　　　その1</title>
            <description><![CDATA[<p align="center"><font color="#0000ff"><b><font size="+3">ツノピーこと<br />角田昌夫お勧めの旅</font></b></font></p>
<p align="center"><font size="+1"><b><font color="#0000ff" size="+3">ノルウェー最北端の駅（１９８６年夏）</font></b></font><b><font color="#0000ff" size="+2"><br /></font></b><font size="-1"><b><font color="#ff0000" size="+3">はーるばる来たぜ、<br />ナルヴィーク</font></b></font><font color="#000000" size="+2"><font size="+1"><b><font color="#ff0000" size="+3">（Narvik）-Part1</font></b></font></font><font color="#000000" size="+1"><b><font color="#ff0000" size="+2"><br /><br /></font><font size="+2">　中学校で社会科を教えていた私は、ノルウェーの北極圏内にある不凍港「ナルヴィーク」についてしばしば話題にしたものです。「北緯７０度近くの北極圏にありながら、冬でも凍らないんだよ！」と、当時は見てきたような話を生徒に教えていたものです。たびたび教えてきた責任上ぜひ現地へと、１９８６年の夏にナルヴィークを訪問する機会を得ました。なおこの紀行文はすでにＭＡＸ社のホームページに掲載済みですが、このたびは写真入りでご紹介しますのでご了承下さい(当時の写真を使用しています。従って、私も妻も２０歳は若い！)。<br /></p>
<p align="center"><font color="#000000" size="+1"><b><font size="+2">了承下さい(当時の写真を使用しています。従って、私も妻も２０歳は若い！)。<br /><br /><img style="WIDTH: 308px; HEIGHT: 505px" height="409" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/narubiku/Scan10453.JPG" width="604" border="0" /><br /><font color="#0000ff">アラスカのアンカレッジを飛び立ったフィンランド航空機は、まさに北極点上空を飛行中です。<br /><br /><font size="+3">出発は、フィンランドから</font></font><font size="+3"><br />　</font><font size="+2">当時はヨーロッパへの直行便が無く、成田からアラスカのアンカレッジ経由でフィンランドの首都ヘルシンキに入りました。搭乗した「フィンランド航空」はエレガントな機内で、北極の真上を通過した時には機内で「北極点通過証明書」を渡されました。また途中で降りたアンカレッジ空港には乗り継ぎの日本人がゾロゾロ歩き、立ち売りのウドン屋まであったことを覚えています。機内のイヤーホーンにシベリウスの「フィンランディア」が響き、北欧の旅の期待を高めてくれました。ヘルシンキに数日間滞在した後は、シリアラインの巨大な箱形フェリーでストックホルムに着きました。眠れぬままに甲板に出ると、船は白夜のバルト海を静かに進んでいました。　<br />　<img height="376" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/narubiku/Scan10455.JPG" width="555" border="0" />　　<img height="370" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/narubiku/Scan10457.JPG" width="559" border="0" /><br /></font><font color="#0000ff" size="+2">真夜中の甲板に出ると、フェリーは波静かな白夜のバルト海を進んでいました。</font></font></b></font></p></font></b></font>]]></description>
            <link>http://railohshu.com/taiken/2008/12/-1.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">北欧</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 25 Dec 2008 14:10:39 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>ある郵便配達夫の奇跡</title>
            <description><![CDATA[<p>フランスの南東部、リヨンから少し行ったところにある</p>
<p>オートリーヴという田舎町に『シュヴァルの理想宮』と呼ばれる</p>
<p>恐ろしく細かい彫刻が施された風変わりなした建物がある。</p>
<p><img src="http://i197.photobucket.com/albums/aa135/happyroland/multi-media/worlds%20wildest%20architecture/5.jpg" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>アンコールワットを模してるともガウディの建物を不気味にした</p>
<p>とも言えるこの謎の建造物はなんと、ある郵便配達夫が</p>
<p>たった一人で造り上げたものであるというから驚きである。</p>
<p>&nbsp;ウソのようなホントの話ですが</p>
<p>この建造物を造ったのはフェルディナン・シュヴァルという人物で</p>
<p>1836年リヨン近郊にあるシャルム村で貧農の子として生まれ</p>
<p>特に建築学や美術を学んだわけではなく農夫やパン職人などを経て　</p>
<p>郵便配達夫としてオートリーヴの村で貧しくも平凡にで暮らしていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img style="WIDTH: 157px; HEIGHT: 236px" height="251" src="http://www.maxronnersjo.se/files/gimgs/th-37_ferdinand-cheval.jpg" width="130" /></p>
<p>そんな1879年のある日、43歳のシュヴァルは配達の途中につまずいた石に魅了され</p>
<p>それ以来、何かに取り付かれたかのように石集めに没頭する。</p>
<p>そして「"余の辞書に不可能の文字はない"」というナポレオンの言葉に感化され</p>
<p>集めた石を使って自分と家族のお墓を造ろうと決心したのである。</p>
<p><img style="WIDTH: 249px; HEIGHT: 364px" height="460" src="http://soloosos.files.wordpress.com/2008/06/facteur-cheval-et-sa-brouette1.jpg" width="276" /></p>
<p>&nbsp;"私の意志は、この岩と同じくらい強かった。"</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;いったい何がシュヴァルをここまで突き動かしたのだろうか？</p>
<p>ちょうどシュヴァルが理想宮造りを始めた年に15歳で亡くなった最愛の娘に捧げる為という説や</p>
<p>パラノイア（偏執病）だったという説</p>
<p>もしくはその両方だったという説など諸説ありますが</p>
<p>何しろ100年以上も昔の出来事である為、理由は誰にも分からない。</p>
<p>とにかくシュヴァルは郵便配達夫の仕事の後、一心不乱に石を拾い集め、積み上げ</p>
<p>石膏を練り、雨の日も雪の日も理想宮造りに没頭した。</p>
<p>村人達からは変人の所業として白い眼で見られたが</p>
<p>寡黙なシュヴァルの意志は揺らがなかった。</p>
<p>ただひたすら理想宮造りに没頭するシュヴァルに感化され</p>
<p>次第に協力する村人も増えてきた。</p>
<p>そんな月日を過ごすこと33年。</p>
<p>シュヴァルが76歳になったとき理想宮はついに完成した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;<span style="FONT-SIZE: 10pt; FONT-FAMILY: Arial"><img style="WIDTH: 398px; HEIGHT: 288px" height="342" src="http://www.theparistraveler.com/wp-content/uploads/2008/07/2417634288_7be926d8b9.jpg" width="500" /></span></p>
<p><img style="WIDTH: 452px; HEIGHT: 274px" height="343" src="http://www.theparistraveler.com/wp-content/uploads/2008/07/800px-facteur_cheval_-_detail_facade_nord.jpg" width="500" /></p>
<p>皮肉なことにシュヴァルは</p>
<p>地元の住民や教会の反対により自ら作り出した宮殿に埋葬されることはなかった。</p>
<p>しかしシュヴァルの死後、詩人でシュールレアリストの大家アンドレ・ブルトンや</p>
<p>アルザスの詩人エミール・ル・パラサクなどに大絶賛を浴びることとなった。</p>
<p>なんとあのピカソにも影響を与えたとさえ言われているのである。</p>
<p>詩人エミール・ル・パラサクは『シュヴァルの理想宮』に向けて作られた詩篇の中で</p>
<p>こう吟じている</p>
<p>『あなたが生涯をかけたこの神殿は数百年の間祝福されるだろう』</p>
<p>パラサクの予想した通り、この平凡な郵便配達夫の奇跡は</p>
<p>100年以上経った今でも多くの人に感銘と勇気を与え</p>
<p>現在では国の重要建造物にとしてフランス政府により大切に保存されているのである。</p>
<p><img style="WIDTH: 451px; HEIGHT: 295px" height="323" src="http://www.timpultau.ro/UserFiles/photo/pal_08011300.jpg" width="470" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong><font style="FONT-SIZE: 1.25em"><font style="FONT-SIZE: 1.95em"><font style="FONT-SIZE: 0.64em" size="5">■</font><font style="FONT-SIZE: 0.8em" size="5">■</font><font size="6">■シュヴァルの理想宮までのご案内は</font></font></font></strong></p>
<p><strong><font style="FONT-SIZE: 1.25em"><font style="FONT-SIZE: 1.95em"><font size="6">　　　　マックスビスタトラベルがサポート致します</font></font></font></strong><strong><font style="FONT-SIZE: 1.25em"><font style="FONT-SIZE: 1.25em"><font style="FONT-SIZE: 0.8em"><font style="FONT-SIZE: 1.95em"><font size="6">■</font><font style="FONT-SIZE: 0.8em" size="5">■</font><font style="FONT-SIZE: 0.64em" size="5">■</font></font></font></font></font></strong></p>
<p><strong><font style="FONT-SIZE: 1.25em" size="3">★《シュヴァル理想宮までの行き方》★</font></strong></p>
<p>シュヴァル理想宮があるオートリーヴ（<strong>HAUTERIVES</strong>）に行くには</p>
<p>サンバリエ駅（<font style="FONT-SIZE: 1em"><strong>St vallier</strong></font>）で下車してタクシー（約30分）で行くのが一般的です。</p>
<p>バスもあるようですがかなり本数が少ないようです。</p>
<p>パリ/リヨン駅（<span class="st"><strong>PARIS GARE LYON</strong>）</span>からサンバリエ駅まではリヨンで乗り継いで約2時間</p>
<p>リヨン駅パールデュー駅（<span class="st"><strong>LYON PART DIEU</strong>）</span>からサンバリエ駅までは約1時間弱です。</p>
<p>料金やタイムスケジュールは時期や空席状況によって前後しますので</p>
<p>詳しくは弊社のHPの[鉄道区間検索]を開いて以下の手順でお調べ下さい</p>
<p>鉄道区間検索⇒<a href="http://www.railohshu.jp/rail/index.php?AgentID=MAXVISTA">http://www.railohshu.jp/rail/index.php?AgentID=MAXVISTA</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;1.画面上方にある<strong>【TGV】</strong>と書いてある部分クリックして画面左の地図をTGV用</p>
<p>　 に切り替えてください</p>
<p>&nbsp;2<strong>.【区間(ローマ字入力</strong><strong>】【お日にちと時間】【人数】</strong>を選択してください。</p>
<p>&nbsp;3<strong>.【検索】</strong>をクリック</p>
<p>分からない場合はお電話にてお問い合わせ下さい<a href="http://www.railohshu.jp/rail/index.php?AgentID=MAXVISTA"></a></p>
<p>&nbsp;TEL（03）3780-0468　マックスビスタトラベル</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong><font style="FONT-SIZE: 1.25em" size="3">★★《シュヴァル理想宮近郊の格安ホテル予約》★★</font></strong></p>
<p>　オンラインでホテルのご予約が可能です。</p>
<p>　検索の際の都市名はローマ字でご入力下さい。</p>
<p>　ご予約を頂きましたら予約番号がメールで届きますのでプリントアウトして</p>
<p>　現地のホテルまでお持ち下さい。</p>
<p>　現地でのお支払いになりますので安心してご利用下さい。</p>
<p>　ホテルの種類にもよりますが現地でのキャンセルに対応しているものがほとんどです。</p>
<p>　詳しくはこちら⇒<a href="http://www.booking.com/index.html?aid=307829&amp;label=s112">http://www.booking.com/index.html?aid=307829&amp;label=s112</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>&nbsp;<font style="FONT-SIZE: 1.25em" size="3">★★★《よりディープにフランスを楽しみたい方には》★★★</font></strong></p>
<p>　フランス国内の全ての鉄道に乗車できる※</p>
<p>　とっても便利な<strong>フランスレイル<font style="FONT-SIZE: 1em" size="2">パス</font></strong>をお勧めいたします。</p>
<p>　ニースから地中海沿いを走り、ブイヤベースの故郷のマルセイユ、世界遺産のアヴィニョン、</p>
<p>　食通の町リヨン、ワインで有名な</p>
<p>　ディジョンなどを抜けて花の都パリへいらしてみてはいかがでしょうか？</p>
<p>　また映画の舞台にもなったモンサンミッシェルへはレンヌまでTGVで行くのが便利です。</p>
<p>　マックスビスタでしたらオンライン価格で<strong>フランスレイルパス</strong>（2等/3日間）</p>
<p>　が<font style="FONT-SIZE: 1em" size="2"><strong>25,400円</strong></font>で購入可能です。</p>
<p>　詳しくはこちら⇒<a href="http://www.ohshu.jp/railpass/AustrianRailPass.html?agent=MAXVISTA">http://www.ohshu.jp/railpass/AustrianRailPass.html?agent=MAXVISTA</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その他にも日本最大<span class="blue">２２カ国６０種類</span>の鉄道パスが予約できます。</p>
<p>　旅程に合わせたパスを扱っておりますのでこちらをご確認下さい</p>
<p>　<a href="http://www.railohshu.jp/railpass/index.html?agent=MAXVISTA">http://www.railohshu.jp/railpass/index.html?agent=MAXVISTA</a></p>
<p></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>★※補足</p>
<p>　※フランスレイルパスでTGVに乗車する場合、別途パスホルダー券（座席指定）が必要です。</p>
<p>　　パスホルダー券をお求めでしたら</p>
<p>　　こちらのURLをお開き以下の手順でお調べ下さい</p>
<p>　　<a href="http://www.railohshu.jp/rail/index.php?AgentID=MAXVISTA">http://www.railohshu.jp/rail/index.php?AgentID=MAXVISTA</a></p>
<p>　</p>
<p>&nbsp; &nbsp;1.画面上方にある<strong>【TGV】</strong>と書いてある部分クリックして画面左の地図をTGV用</p>
<p>&nbsp;&nbsp; 　 に切り替えてください</p>
<p>&nbsp;&nbsp; 2<strong>.【鉄道パスをお持ちのお客様は、この枠内をクリックしてチェックを入れてください。】</strong></p>
<p>　　　と書いてあるチェックボックスにチェックを入れてください</p>
<p>　 3.【区間（ローマ字入力）】【お日にちと時間】【人数】を選択してください。</p>
<p>　 4.【検索】をクリック</p>
<p>　</p>
<p>ご不明な場合はお電話にてお問い合わせ下さい<a href="http://www.railohshu.jp/rail/index.php?AgentID=MAXVISTA"></a></p>
<p>&nbsp;TEL（03）3780-0468　マックスビスタトラベル</p>
<p>&nbsp;</p>]]></description>
            <link>http://railohshu.com/taiken/2008/11/post-59.html</link>
            <guid>http://railohshu.com/taiken/2008/11/post-59.html</guid>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">Ferdinand Cheval</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">St vallier</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">TGV</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">オートリーヴ</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">サンバリエ</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">シュヴァル</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">シュヴァル理想宮</category>
            
            <pubDate>Fri, 07 Nov 2008 19:06:01 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>クレルモン・フェランの旅・　　その３　　　ツノピーお勧めの旅　　　　</title>
            <description><![CDATA[<p align="center"><b><font color="#ff0000" size="+1"><font size="+3">クレルモン・フェランの旅（Clermont-Ferran）Part-3</font></font></b></p>
<p align="center"><br /><b><font color="#0000ff" size="+3">クレルモン市内散歩<br />　</font><font color="#000000" size="+2">予定の日が一日空いたので、クレルモンの市内見学にあてました。１０月５日の朝、駅前の案内所へ行くと、上品な紳士が綺麗な英語で市内案内をしてくれました。１０時３５分の列車で市街地を見降ろす次の駅まで行きました。ここはクレルモンの裏山にあたり、赤い屋根の連なる市内を一望できます。ここから歩いて坂を下り、市内へ戻りました。途中のレストランで、早めのランチにしました。ここで初めて、鱒のムニエルにありつきました。更に歩いて中央広場に出ると、ここにガリアの英雄「ウェルキンゲトリックス」の騎馬像がありました。彼はローマの名将「シーザー」と対して、ガリア諸部族を結集して唯一度破ったことがあるガリアの英雄です。「レジスタンス記念館」を見つけて入ってみると、豊富な資料が展示されていました。第二次大戦時このオーベルニュー地方は、反ナチスのレジスタンスが中心地とした場所だったようです。展示を見ていると、若い女性の職員に話し掛けられました。彼女はナント、栃木県の足利にいたそうです。足利と言えば、我が郷土「群馬県」の隣りにある馴染みの町です。聞けば父親が宣教師で、足利に住んでいたそうです。思わぬ出会いに、しばし話しが弾みました。市内バスで駅前に帰り、ホテルに戻りました。今夜の夕食も、近所のスーパーで買って済ませました。<br />　かくして「クレルモンの旅」を終えると、次なる旅を続けました。<br /><br /><img height="577" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/kure/Scan10418.JPG" width="386" border="0" />　<img height="576" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/kure/Scan10417.JPG" width="384" border="0" /><br /></font><font color="#0000ff" size="+2">坂道を下ると、広場の中央にガリアの英雄「ウェリキンゲトリックス」の騎馬像がありました。<br /><br /><img height="488" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/kure/Scan10419.JPG" width="329" border="0" />　<img height="338" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/kure/Scan10420.JPG" width="505" border="0" /><br />三色旗を掲げたレジスタンス博物館と、クレルモン・フェラン駅です。<br /></font></b></p>]]></description>
            <link>http://railohshu.com/taiken/2008/10/post-58.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">フランス</category>
            
            
            <pubDate>Sun, 26 Oct 2008 17:05:01 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>クレルモン・フェランの旅・　　その２　　　ツノピーお勧めの旅　　</title>
            <description><![CDATA[<font color="#ff0000"><strong><font size="6">クレルモン・フェランの旅（Clermont-Ferran）Part-2</font><br /><br /></strong></font><font color="#0000ff" size="6"><strong>モン・ドールを訪問<br />　</strong></font><font color="#000000" size="+2"><strong>１０月３日（日）は、保養地で名高い「モン・ドール（Le Mont-Dore）」を訪問しました。駅員にモン・ドール行きの列車を聞くと、初老の駅員がフランス語で何やら教えてくれました。要領を得ないまま自分で列車を探して乗り込むと、窓の外から先ほどの駅員が私の姿を確認してくれました。私が無事に列車に乗り込んだのを確認してくれたようで、その親切さに異国の旅の心が温まりました。１０時４５分頃に遅れて発車した列車は、オーベルニュー高原に向かって走ります。沿線の天候は雨に変わり、途中の駅で降ろされました。終点のモン・ドール行きのはずですが、何かの都合で駅舎の外にバスが待っていました。バスは美しい谷や村を走り、終点の「Le Mon- Dore」駅に着きました。シーズンオフとあってか、壮大な白亜の駅舎には人影を見ません。遠方の雨雲から、オーベルニューの象徴である「Ｐｕｙ de Dome」の独特な山容が見えました。火山が侵食されて出来た「Ｐｕｙ」と言う円丘にロープウェイで登れるはずですが、悪天候のため登山を中止しました。道端で見つけた瀟洒なレストランに入り、フランス・ワインでランチを摂りました。付け合わせの「オーベルニュー・サラダ」が、メニューに華を添えてくれました。向かいの席の家族連れが、珍しそうに私を見ています。ここはご挨拶をと、（Japon）と言うと納得したようでした。ようやく雲が切れた山々を眺めて、１４時２５分に帰途に着きました。今日の夕食も、スーパーで買ったサンドイッチとバナナで済ませました。<br /><br /><img height="271" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/kure/Scan10410.JPG" width="452" border="0" />　</strong><font color="#0000ff"><br /><strong>雨雲の中から、モン・ドールの山が見えました。　　<br /><br /></strong></font><strong><img height="271" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/kure/Scan10411.JPG" width="413" border="0" /><br /></strong><font color="#0000ff"><br /><strong>素敵なレストランで、ランチを食べました。<br /></strong></font></font><font color="#0000ff" size="+2"><strong>　　<br /><br /><br /></strong></font><font color="#0000ff" size="+3"><strong>聖地「Le Puy-en-Velay」を訪問する<br />　</strong></font><strong><font color="#000000" size="+2">１０月４日（月）は、今回の旅のハイライトである聖地「Le Puy」を目ざした。フランスからスペインの大西洋岸「サン・チャゴ・コンポステラ」まで、「星の道」なる巡礼の道があります。その出発地の一つが、クレルモンの郊外にある「Le Puy-en-Ｖｅｌａｙ」に始まります。朝９時３７分発の列車で、クレルモンを出発しました。一路南に向かった列車は、Allier川の上流にそって走ります。列車が左の谷を登ると、右手に美しい緑の原野が開けました。１１時４９分に、終点も「Le Puy」に着きました。とりあえず、駅前のレストランでオムレツを食べました。鳶色の眼が印象的な美人のマダムが、応対でした。市内の中心には、丘の上に巨大なマリアがイエスを抱いた像が立っています。小道を通って、丘をゆっくり登りました。道の両側には、特産品のレース屋が並んでいました。登り詰めた頂上には、赤く塗られた高さ１６メートルのマリア像が立っていました。キリストを抱いたマリア像に、私の故郷「高崎の白衣観音像」を思い出しました。このマリア像は、クリミヤ戦争で捕獲したロシア軍の大砲を２００門溶かして製造したものだそうです。頂上からは、Le Puyの町並みの赤い屋根が一面に広がって見えました。丘を降りて駅前のカフェでコーヒータイムを過ごし、再び列車に乗りました。帰路は、途中の「St. Georges」で乗り換えます。ホームで待つうちに、突然の雨に襲われました。ホームの狭いシェルターに、列車を待つ乗客が避難してきました。狭いシェルターは、大勢の乗客で一杯です。気がつくと、それがみんな若い女性ばかりです。男性は、異国人でシニアの私だけです。近くに女子大でもあるのでしょうか？それにしては、お互いに無言で列車を待っています。変な集団で待つこと、３０分余で列車がやってきました。今度はマルセーユ発の列車に乗って、１８時４１分にクレルモン駅に到着しました。相変わらずの雨の中を、ホテルに戻りました。<br /></font><br /><img height="340" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/kure/Scan10412.JPG" width="509" border="0" />　 </strong><font color="#0000ff" size="+2"><br /><strong>町の中央の丘に、巨大なマリア像が立っていました。<br /></strong></font><br /><strong><img height="583" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/kure/Scan10413.JPG" width="391" border="0" /><br /></strong><font color="#0000ff" size="+2"><strong>　　坂道を登って、マリア像を目ざしました。<br /><br /><img height="449" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/kure/Scan10414.JPG" width="318" border="0" />　<img height="449" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/kure/Scan10416.JPG" width="300" border="0" /><br />イエスを抱いたマリア像に着くと、眼下に赤い屋根の町並みが開けました。</strong><br /></font>]]></description>
            <link>http://railohshu.com/taiken/2008/10/post-57.html</link>
            <guid>http://railohshu.com/taiken/2008/10/post-57.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">フランス</category>
            
            
            <pubDate>Sun, 26 Oct 2008 16:55:51 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>クレルモン・フェランの旅・　　その１　　　ツノピーお勧めの旅</title>
            <description><![CDATA[<p align="center"><font color="#0000ff"><b><font size="+3">ツノピーこと<br />角田昌夫お勧めの旅</font></b></font></p>
<p align="center"><b><font color="#0000ff" size="+2">フランス中央高地<br /></font></b><font color="#ff0000" size="+1"><b><font size="+3">クレルモン・フェランの旅</font></b></font><font color="#ff0000" size="+1"><b><font size="+3">（Clermont-Ferran）Part-1</font></b></font><font color="#000000"><b><font color="#0000ff" size="+1"><br /></font></b></font><font color="#000000" size="+1"><font color="#000000"><b><font color="#0000ff" size="+2"><br />　</font><font color="#000000" size="+2">広い平野が目立つフランスの地図を眺めると、中央部を高地が占めています。この高地は古い火山の残りで、アルプスとは違った成因の地形です。この「オーベルニュー」と呼ばれる地方の中心都市、「クレルモン・フェラン」を訪れることにしました。クレルモンと聞くと、宗教会議を思い出します。１０９５年に聖地エルサレム奪回を目指す宗教会議が、ここクレルモン・フェランで開かれました。また哲学者「パスカル」の誕生地として、彼の生家があります。元々は「クレルモン」と「フェラン」の双子都市だったものを、合わせて「クレルモン・フェラン」と呼ぶようになったそうです。このページでは便宜上、「クレルモン」の名前で呼ぶことにします。<br /><img height="227" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/kure/Scan10405.JPG" width="345" border="0" /> </font><font color="#0000ff" size="+2"><br />大西洋岸から、ＴＧＶで中央高地を目ざしました。</font><font color="#000000" size="+2"><br /><br />　</font><font color="#0000ff" size="+3">クレルモンを目ざす<br /></font></b></font><font color="#000000" size="+2"><b>　さて１９９９年の旅でモン・サン・ミッシェル訪問を終えて、大西洋岸からフランス内陸を目ざしました。焼き物で有名な「リモージュ」の滞在を終えて、１０月１日（金）の１１時半にホテルを出てクレルモン駅に向かいました。駅構内のレストランで赤ワイン、平目のムニエルのランチを満喫して、ホームへ行くとクレルモン行きの列車が入線していました。４両編成のディーゼルカーの最後部に、一等車が半室ありました。もちろん、車内には乗客は私一人でした。列車はしばしリモージュ郊外の原野を走ると、次第にオーベルニュー高原の登りに掛かります。谷に分け入り清流の脇を、ディーゼル音もひと際列車が高く登ります。とある田舎の小駅には、ベンチでのんびりと休む村人がいました。ここらでちょっと一休みと、途中下車したくなる光景でした。列車が広々としたオーベルニュー高原に出ると、そこここに草を食む羊の群れを見ました。はるか彼方には火山の残骸が、丸い丘の姿を見せまています。ここは正に、フランス版信州の高原でした。途中の駅に、「ヴォルビック」なる駅名を見つけました。ここが名水ヴォルビックの産地でした。列車は左手にクレルモンの町並みを見降ろしながら、半周を描いて下ります。家々のオレンジ色の屋根が、夕陽に映えて輝きます。中央線の韮崎や、篠井線の姨捨に見られる鉄道の景勝地でしょうか。１７時０４分に、列車は終点の「クレルモン・フェラン駅」に着きました。<br /><br /><img height="335" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/kure/Scan10406.JPG" width="502" border="0" />　</b></font><font color="#0000ff" size="+2"><b><br />列車は「クレルモン・フェラン」に着きました。<br /></b></font></font><br /><font color="#0000ff" size="+3">初めは、ヴィシーに</font><font color="#000000" size="+2"><br /></font><b><font size="+2">　翌１０月２日（土）は、まず近くの「ヴィシー」を訪問しました。ヴィシーと言えば鉱泉で有名ですが、また第二次大戦の時ここに「ヴィシー政府」が置かれたことでも有名です。ナチスドイツの降伏したフランスは、第一次大戦の英雄「ペタン元帥」を首班とした「ヴィシー政府」を樹立しました。この政府はナチスの影響下にあり、結果的には傀儡政権としてドゴール将軍が率いる「自由フランス」に政権を渡しました。かつてはドゴールの上官であったペタンは、ドゴール政権の下で終身刑に服しました。そのヴィシー政府跡を見たいと、１０時１９分発の列車でクレルモンを発ちました。駅前で買った英字新聞を開くと、遥か日本の東海村で原子力事故があったとの報道に接しました。さてクレルモンとヴィシー間は意外と近く、５５ｋｍしかありません。列車は高原から一気に下ると、再びフランスの平野を快走して１０時４０分にヴィシーに着きました。さすがは鉱泉保養地として栄えたヴィシーとあって、駅前から白亜のホテル群が林立しています。駅前の通りを真っ直ぐに歩くと、Ａllier川の美しい流れにでました。とりあえず目に付いた中国料理屋へはいり、ランチを摂りました。久しぶりのご飯とマーボ豆腐に、青島ビールがお腹にしみ込みました。主人が英語を話したので、しばし雑談しました。外へ出て少し歩くと、鉱泉センターがありました。入口で入場料を払うと、紙コップを渡されました。館内には鉱泉の蛇口があり、コップに注いで飲みました。硫黄分を含んだ鉱泉は、いとも珍妙な味でした。ヨーロッパでは温泉に入るより、健康のため飲む療法があります。近くの観光案内所で「ヴィシー政府」の跡地を聞くと、この一帯の建物を利用していたとのことです。歴史的には否定されている傀儡政権でしたが、国民的英雄の「ペタン元帥」をしばし偲びました。１５時３４分に出た列車は、１６時１０分にクレルモン駅に着きました。夕食は近所のスーパーで買ったパンと牛乳、バナナとトマトで済ませました。<br /><img height="252" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/kure/Scan10408.JPG" width="379" border="0" />　<img height="249" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/kure/Scan10407.JPG" width="373" border="0" /><br /></font><font color="#0000ff" size="+2">ヴィシーの鉱泉センターです。中に入ると、鉱泉の蛇口が並んでいました。<br /></font><br /><font size="+2"><img height="571" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/kure/Scan10409.JPG" width="383" border="0" /><br /></font><font color="#0000ff" size="+2">この辺りが、ヴィシー政府の跡とのことでした。<br /></font></b></p>]]></description>
            <link>http://railohshu.com/taiken/2008/10/post-56.html</link>
            <guid>http://railohshu.com/taiken/2008/10/post-56.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">フランス</category>
            
            
            <pubDate>Sun, 26 Oct 2008 16:48:44 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>オリエント急行・体験記　その３      ツノピーお勧め鉄道の旅</title>
            <description><![CDATA[<p><font color="#0000ff"><b><font color="#000000" size="+1"><font color="#0000ff" size="+2">我が懐かしの</font>　</font><font color="#000000"><font color="#ff0000" size="+3">オリエント急行体験記（Part 3）</font></font></b></font></p>
<p><b><font color="#0000ff" size="+3">かくして、イスタンブールへ<br /></font><font size="+3"><font color="#000000" size="+2">　</font></font><tt><font size="+3"><font face="Courier New" color="#000000" size="+2">いよいよ、ソフィアを発つ日を迎えました。パリからはるばる２泊３日掛けて来た列車は、ソフィアに午後３時過ぎに到着する予定でした。さて予定時刻になりましたが、どうやら列車は大幅に遅れているようです。到着時間が分からないとのことで、ホームを離れるわけにはいきません。それでも待つこと２時間余で、５時過ぎにオリエント急行の車両が入って来ました。見慣れた車両ではありますが、どことなくクタビレています。最早ブルガリアまで来ると、オリエント急行もローカル列車の感がありました。その証拠に食堂車が付いてないとのことで、夕食と朝食の二食を車内に持ち込みました。列車は、ソフィア郊外の田園を走ります。この辺りが有名なバラの里で、香水が採れるとのことです。やがて暮れなずも車窓に、早々とベッドに入りました。夜中にたびたび大揺れを感じながら、どうやら眠りに入ったようです。翌朝の５時、明るい車窓に起きて廊下に出ました。列車はギリシャ国境のヒマワリ畑を、走っていました。一面のヒマワリ畑に、ソフィア・ローレン主演の映画「ひまわり」を思い出しました。隣の車室から中年の夫婦が現れて、朝の挨拶を交わしました。聞けば、アメリカから来たとのことでした。当時はキプロス問題で、トルコとギリシャが緊迫していました。国境地帯には、トルコの戦車を見ました。乗客の大半はドイツへ出稼ぎに行ったトルコ人で、列車はさながら「出稼ぎオリエント急行」でした。１０時を過ぎると、沿線に人家が現れました。どうやら人里に入ったようです。そう言えば、寝る前に車掌にパスポートを預けて置きました。トルコへの入国審査は、眠っている間に済ませてくれたようです。１１時過ぎに列車は、</font></font><font face="Courier New" size="+2">イスタンブールの郊外に入りました。行きかう通勤列車や慌ただしい町並みに、大都会「イスタンブール」の息吹を感じました。１２時前には、列車は「イスタンブール・シルケチ駅」に到着しました。オリエント急行の終着駅とあって、さぞや大きな駅かと期待しましたが実際の駅はホームが４面の小さな駅でした。「なんだ、これじゃ<i>知るケチ</i>駅じゃあないか！」と、妻とダジャレを飛ばしました。ともかく、これで往路のオリエント急行の旅を無事に終えました。<br /></font></tt></b><br /><font face="Courier New"><img height="333" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/orient/Scan10426.JPG" width="472" border="0" /></font>　<img height="425" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/orient/Scan10427.JPG" width="303" border="0" /><font size="+2"><b>　　　　　　　　　　　　　　　</b></font><font color="#0000ff" size="+2"><b>ブルガリアの建国の父「ディミトロフ廟」と、ソフィア近郊のビトーシャ山にて。</b></font><br /><img height="396" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/orient/Scan10428.JPG" width="559" border="0" /><br /><font color="#0000ff"><b><font size="+2">ブルガリアの原野には、ヒマワリ畑が見えました。</font></b><br /></font><br /><font color="#0000ff"><b><font size="+3">イスタンブールでの日々</font></b></font><br /><font size="+2"><b>　イスタンブールには、１週間ほど滞在しました。ここで詳しく述べる予定はありませんが、思えば妻と二人で良く単独旅行で行ったものと思います。ここでもホテルを予約せず、まず駅にいた客引きのオジサンの車で宿へ案内されました。そこはホテルではなく、個人の家でした。何やら主人を残して、家族は避暑に行ったとのことです。私たちは、その家のお嬢さんの部屋に案内されました。１泊で５００円と値段は安いのですが、シャワーには冷たい水しか出ないのには困りました。朝食は主人がコトコトと台所で調理して、お盆に載せてしずしずと運んでくれました。また朝は５時には、近くのイスラム寺院からマイクによるコーランのお祈りに目が覚めてしまいました。あれやこれやで休養できず、３泊した後はホテルへ泊ることにしました。そこでふと思い出したのは、列車で出会ったアメリカ人の「イスタンブールへ行ったら、ヒルトンへ泊れ」と言う言葉でした。４日目朝、ペンションを引き払ってタクシーで丘の上の「イスタンブール・ヒルトン」に乗りつけました。予約なしでしたが、「海側の部屋か、山側の部屋か」選べと言われました。もちろん海側の部屋に入り、窓を開けると眼下に「ボスポラス海峡」が一望のもとに開けました。夜は赤い満月が、海峡を照らしていたことを思い出します。<br />かくしてイスタンブール滞在を終え、再びオリエント急行で帰途に着きました。<br /><img height="327" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/orient/Scan10433.JPG" width="467" border="0" /><img height="331" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/orient/Scan10434.JPG" width="471" border="0" /><br /></b></font><font color="#0000ff" size="+2"><b>イスタンブールのヒルトン・ホテルに泊まると、部屋からボスポラス海峡と月が見えました。</b></font><font size="+2"><b><br /><img height="333" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/orient/Scan10435.JPG" width="473" border="0" /><br /></b></font><font color="#0000ff" size="+2"><b>フェリーで海峡を渡ると、イスタンブールのモスクが二つ見えました。</b></font><font size="+2"><b><br /><img height="296" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/orient/Scan10438.JPG" width="568" border="0" /><br /></b></font><font color="#0000ff" size="+2"><b>珍しい「アエロフロート」の航空券です。<br /></b></font><b><font size="+2">◎お断り；なお当時はスライド用の写真</font></b><font size="+2"><b>が主で、フィルム写真は余り撮りませんでした。<br /><br />「予告篇」<br />　帰りのオリエント急行でも、面白い出来事に出会いました。例えば、大量のトルコ紙幣（トルコ・リラ）の遣い残し。車内で同室したポーランドの三人組。ハンガリーに寄って、またまたハンガリー紙幣（フォリント）の遣い残し。ブルガリア通過時の真夜中のパスポート検査などなど。珍談・奇談を、続編でお楽しみ下さい。乞う、ご期待！！！</b></font><br /><br /><br /><font size="+2"><img height="51" alt="続く――近日公開" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/orient/logo1.gif" width="294" border="0" /></font><br /></p>]]></description>
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            <pubDate>Sun, 26 Oct 2008 15:27:36 +0900</pubDate>
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        <item>
            <title>オリエント急行・体験記　その２　　　　ツノピーお勧め鉄道の旅</title>
            <description><![CDATA[<strong><font color="#ff0000" size="6">オリエント急行体験記（Part 2）<br /></font></strong>
<p align="center"><font color="#0000ff"><font color="#000000" size="+2"><font color="#0000ff" size="6"><strong>一度目は、パリからミラノまで</strong></font><font color="#000000" size="+2"><br /><strong>　この当時は、ソ連の国営航空「アエロフロート」が安くて速くて便利でした。当時は羽田からソ連製の旅客機「イリﾕーシンＩＬ６２」に、よくお世話になりました。爆撃機からの改造なので機体は堅牢で、パイロットは軍人出身だとの噂でした。羽田を飛び立つと、すぐに機内サービスのキャビアが出たことを思い出します。８時間余で、一端ソ連の「シェレメチェボ空港」に降ります。３時間余の休憩の後、再び飛び立ち夕陽に向かって飛行しました。夕方にパリの「オルリー空港」に到着し、タクシーがシャンゼリゼー通りに入るとライトアップされた凱旋門が突然目の前に現れました。これが私のヨーロッパとの初対面で、その時に感激は未だに忘れません。さてパリの見学を終えて、いよいよオリエント急行に乗る時が来ました。パリのリヨン駅で夕食を済ませホームへ出ると、憧れのオリエント急行に対面しました。よくテレビで紹介される豪華な車両ではありませんでしたが、映画「オリエント急行殺人事件」でお馴染みのチーク造りの重厚な車両でした。隣りの個室との連絡ドアーがあり、室内には折りたたみ式の洗面台や例の「おまる」まで戸棚に入っていました。幅広いベッドはツインで、清潔なシーツが敷かれていました。暗いフランスの原野を走り、翌朝目を覚ますと列車はジュラ山地を越えていました。間もなくスイスに入ると、ジュネーブを通りレマン湖岸を走りました。やがてマッターホルン方面の分岐点「ブリーグ」に着き、朝食用の牛乳をホームの売店で買いました。売店のおじさんに「ドウーエ・ラッティ（牛乳二つ）」と習いたてのイタリア語が通じ、感動した覚えがあります。列車は当時は世界最長の「シンプロン・トンネル」を潜り、イタリアへ入りました。列車がミラノに着いて、途中から同室したアメリカのポートランドから来た教員夫妻とお別れしました。当時は出発前に、日本の旅行社で個室の予約をして行きました。<br /><br /><img height="276" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/orient/Scan10425.JPG" width="389" border="0" />　　　　<img height="513" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/orient/Scan10424.JPG" width="368" border="0" /><br /></strong></font><font color="#0000ff" size="+2"><strong>イタリアの駅弁には、赤ワインが付いていました。ミラノ中央駅に着きました。<br /></strong></font></font><br /><font size="+3"><strong>二度目は、ブルガリアからトルコへ</strong></font></font><br />　<b><font size="+2">１９７６年に，当時は社会主義国だった東ヨーロッパの国々を回りました。例によってアエロフロートでモスクワに一泊し、翌日ルーマニアのブカレストへ飛びました。ブカレストからは列車で、ブルガリアのソフィアまで行きました。当時の社会主義国では、原則として個人旅行は出来ませんでした。代表的なのはソ連の「インツーリスト社」で、旅の初めから終わりまで添乗員が付添いました。ある意味では便利な制度でしたが、行動の自由が無く監視付き旅行という感じは否めませんでした。当時はブルガリアも社会主義国でしたが、私たちはホテルの予約なしでソフィアへ着きました。駅舎を出ると、なんと一人のオジサンが近づいてきました。片言の英語で、ホテルを紹介すると言います。誘われるままに、駅前から路面電車に乗りました。電車は中央通りを走ると、なんとソフィア一のホテルに着きました。例のオジサンは「あのホテルだよ！」と指をさして、そそくさと立ち去ろうとします。慌ててお金を出しましたが、受け取ろうとしません。訳が分からないままアメリカの５ドル紙幣を出しますと、何とか受け取ってオジサンは立ち去りました。幸いにもホテルに部屋がありましたが、この一件は未だに訳がわかりません。翌日はソフィア見学の合間に、ソフィア中央駅で「オリエント急行」の部屋をトルコのイスタンブールまで予約しました。駅の窓口は、国内用と国外用に分かれていました。窓口の係りは、どうしたものか英語が分かりません。困ったと思っていたら、傍にいた女性が綺麗な英語で通訳してくれました。正に、「窮すれば通ずる」の諺どおりでした。いま考えると現地でオリエント急行を予約するなんて、大胆なことでした。やはり旅行前に、予約していくべきでしたね。<br /><img height="482" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/orient/Scan10431.JPG" width="343" border="0" />　<img height="480" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/orient/Scan10432.JPG" width="342" border="0" /><br /></font><font color="#0000ff" size="+2">オリエント急行を前にして。ドイツ語で「寝台車」の標示と、パリ・イスタンブールの駅名が見えます。</font><font size="+2"><br /><br /><img height="477" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/orient/Scan10430.JPG" width="341" border="0" />　<img height="473" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/orient/Scan10429.JPG" width="337" border="0" /><br /></font><font color="#0000ff" size="+2">個室の洗面台を下ろすと、鏡が現れました。<br />　<br /></font></b></p>]]></description>
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            <pubDate>Sun, 26 Oct 2008 15:21:41 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>オリエント急行・体験記　その１     ツノピーお勧め鉄道の旅</title>
            <description><![CDATA[<p align="center"><font color="#0000ff"><b><font size="+3">ツノピーこと<br />角田昌夫お勧めの旅</font></b></font></p>
<p align="center"><font color="#0000ff"><b><font color="#000000" size="+1"><font color="#0000ff" size="+2">我が懐かしの</font>　</font><font color="#000000"><font color="#ff0000" size="+3">オリエント急行体験記（Part 1）<br /><br /></font></font></b></font>　<font color="#0000ff"><b><font color="#000000" size="+2"><font color="#ff0000" size="+3"><font color="#000000" size="+2">先日渋谷にある「MAX VISTA旅行社」を訪ね、ベテラン社員のＯ女史と話していました。私が昔オリエント急行に乗ったことがあると言うと、その体験をぜひホームページに掲載して欲しいとの要望が出されました。昔の話しだと言いましたが、それでも貴重な体験だと言われました。そこで昔の思い出を、ここに披露する次第です。<br />今回は３０余年前の古い写真も見つけ、掲載致しました。見苦しい点は，お許し下さい。<br /></font></font></font><br /><font color="#0000ff" size="+3">三たび乗ったオリエント急行 </font><font color="#000000" size="+2"><font color="#ff0000" size="+2"><br />　<font color="#000000">振り返るとオリエント急行に、三度乗っています。まず第一度目は、今は去ること３０数年前の１９７２年でした。その時は、パリのリヨン駅からオリエント急行に乗りました。当時の詳しい時刻は忘れましたが、夕食を済ませて列車に乗ったようです</font></font><font color="#000000" size="+2"><font color="#000000">。</font>列車は朝スイスへ入り、その日の午後にイタリーのミラノで降りました。<br />二度目は、１９７４年の東ヨーロッパ旅行の時でした。この時はブルガリアの首都ソフィアから一晩かかり、翌日にはギリシャの国境付近を通り終点のトルコのイスタンブールに着きました。<br />三度目はイスタンブールからの帰りに、ユーゴスラビア（当時）のベオグラードまで乗りました。なお私はロンドンからドーバー海峡をカレーに渡り、パリ、ミラノ、トリエステと路線を乗り継いでいます。切れ切れですが、これで私はオリエント急行の全路線をロンドンからイスタンブールまで乗ったことになります。トーマス・クックの時刻表を見ると、現在はイスタンブールまでの「ダイレクト・オリエント急行」は運行されていないようです。思えば、貴重な体験だったかも知れません。<br /><img height="304" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/orient/Scan10421.JPG" width="438" border="0" /><img height="563" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/orient/Scan10422.JPG" width="399" border="0" /><br /></font><font color="#0000ff" size="+2">モスクワのシェレメチェボ空港にて。左は３０余年前の妻です。初めてのヨーロッパは、凱旋門の上からエッフェル塔を背景に。まだ若い私たちです。<br /><br /></font>　<img height="85" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/orient/Scan10423.JPG" width="409" border="0" /></font><font color="#0000ff" size="+2"><br />これが、懐かしのＩＬ６２です。</font><font color="#000000" size="+2">　<br /><br /></font></b></font></p>]]></description>
            <link>http://railohshu.com/taiken/2008/10/post-53.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">フランス</category>
            
            
            <pubDate>Sun, 26 Oct 2008 15:16:34 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>ウェールズの旅　　／悪魔の橋を訪ねる　-　3　　角田昌夫のお勧めの旅</title>
            <description><![CDATA[<p align="center"><font color="#0000ff" size="+3"><b>ウェールズの旅；その１</b><br /></font><font color="#ff0000" size="+3">悪魔の橋を訪ねる（Devils' Bridge）-3</font></p>
<p align="center"><b><font color="#0000ff" size="5"><br />谷底に降りる<br /></font><font color="#000000" size="5">　橋から深い谷を見降ろすと、階段がジグザグに降りています。さて谷底へ下りようと思ったら、なんと有料ゲイトがあります。値段は１ポンド（当時は１７０円余）なので、降りてみることにしました。無人ゲイトに１ポンドのコインを入れると、門が開きました。狭い谷の深くに、細い石段が通じています。実は数年前に腰痛を患った私はやや心配でしたが、一歩一歩スリップに注意して谷底へ着きました。ここから渓流は更に大きな滝になって、下流に流れていきます。見上げると、遥かな上に３層の橋が見えました。<br />さて帰りは、下った分だけ登らなければなりません。やっと入り口のゲイトに着くと、大勢の観光客が待っていました。私が思わず日本語で「スバラシイ！」と言うと、大勢の人が１ポンドを払って入って行きました。私が思わぬ宣伝係りになりましたが、１ポンド払った価値はありました。<br /><img height="502" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/devils/Scan10345.JPG" width="353" border="0" />　<img height="500" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/devils/Scan10346.JPG" width="352" border="0" /><br /></font><font color="#0000ff" size="5">深い谷底まで、階段が続いていました。１ポンド払って、降りてみました。<br /></font><img height="507" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/devils/Scan10348.JPG" width="358" border="0" />　　　　　　<img height="500" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/devils/Scan10347.JPG" width="352" border="0" /><br /><font color="#0000ff" size="+1">見上げると、古い石橋が見えました。その上に、新しい橋がさらに二つあります。最上部は、自動車道路でした。</font><br /><font color="#000000" size="5"><br /></font><font color="#0000ff" size="5">帰途に着く<br /></font>　<font color="#000000" size="5">さて終点の広場に戻り、サンドイッチの昼食を摂りました。辺りには、見学を終えた乗客が三々五々と集まってきました。機関車の傍に機関士がいたので、いろいろと聞いてみました。この機関車は、ボイラーの横に水槽を付けたタンク機関車です。タンクの横には、「Great Western」なる文字が書かれています。「この機関車は、ウエスタン鉄道から購入したのですね？」と聞くと、「よく知っているね」と褒められました。鉄道ファンの私は、予めイギリスの鉄道雑誌で情報を入手していたのです。<br /><img height="318" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/devils/Scan10344.JPG" width="465" border="0" /><br /></font><font color="#0000ff" size="5">タンクの横には、「グレート・ウェスタン」の文字が描かれていました。</font><font color="#000000" size="5"><br /><br />１３時に、列車は往路を引き返しました。今回は窓付きの客車に乗りましたが、私の席だけ異邦人とあってかなかなか埋まりません。子ども連れの女性がウロウロしていたので、「プリーズ！」と声を掛けました。この奥さんとは、帰りの車中でいろいろお話しできました。折しも突然の襲雨に、窓無し客車のお客は濡れています。この車両は連結ドアが無く、濡れても移動できません。思えば、帰りに窓付き車両を選んで幸いでした。かくして１４時には、出発駅のアバリストウィスに着きました。<br />ホテルまでの道で、また突然の雨に襲われました。とりあえず飛び込んだパブで、好物のビター・ビールを注文しました。カウンターの女性が、「あら、濡れちゃったわね！」と気軽に声を掛けてくれました。「そうなんだよ。もう少しでホテルに着くんだけどね」と答えた私は、いつしか街の住人になっていました。<br />かくして、憧れの「Devil's Bridge」訪問を無事に終了しました。</font><br /></b></p>
<p align="center"><br /></p>]]></description>
            <link>http://railohshu.com/taiken/2008/09/3-1.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">イギリス</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 29 Sep 2008 15:55:20 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>ウェールズの旅　／悪魔の橋を訪ねる　- 2　　角田昌夫のお勧めの旅</title>
            <description><![CDATA[<p align="center"><font color="#0000ff" size="+3"><b>ウェールズの旅；その１</b><br /></font><font color="#ff0000" size="+3">悪魔の橋を訪ねる（Devils' Bridge）-2</font></p>
<p align="center"><b><font color="#0000ff" size="6"><br />いよいよ、悪魔の橋へ<br /></font><font color="#000000" size="5">　さて６月１日（月）、いよいよ「悪魔の橋」を訪問する日を迎えました。ここから「悪魔の橋」まで、軽便の「レイドル谷（Vale of Rheidol）」鉄道が運行されています。とりあえず駅へ行くと、ホームの端にレイドル鉄道の乗り場がありました。まずは切符を買って、覚えたてのウェールズ語で「ボレダ（こんにちは！）」と車掌さんに挨拶をしました。返事はウェールズ語で「Diolch（ありがとう！）」と早口で言われました。確かにウェールズ語は、街中でも日常的に使われています。郵便局に入ったら、周りはウェールズ語の標示だらけでした。イングランドから来た人からは、「不便だ」との声を聞きました。この鉄道は１９０２年に開通し、終点の「悪魔の橋」まで約２０ｋｍを１時間掛けて走ります。軽便鉄道とあって、線路幅は約６０ｃｍです（日本のJRは１ｍ０６.７ｃｍ）。駅の特別ホームには、マッチ箱のような客車とSLが待機していました。とりあえず、すぐ後ろの窓無しの展望車にのりました。11時に発車した列車は、間もなく緑豊かな郊外を走ります。森と牧場が点在するウェールズの典型的な風景が、線路の両側に開けました。列車が次第に高度を増すと、遥かな下に谷を見降ろします。幾つかの小さな駅を過ぎると、最後の登りに掛ったのかSLのブラストが更に大きく響きます。時々鳴らす汽笛に、向かいの席の男の子がビックリして泣き出しました。祖父らしい男性が、一生懸命なだめていました。<br /><br /><img height="279" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/devils/Scan10341.JPG" width="404" border="0" />　<img height="282" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/devils/Scan10343.JPG" width="411" border="0" /><br /></font><font color="#0000ff" size="5">アベリストウィス駅のホームには、狭軌のタンク機関車が待機していました。機関車の後ろの展望車に乗りました。<br /></font><font color="#000000" size="5">　１２時ちょうどに、終点の「悪魔の橋」に着きました。幸い終点の近くに売店があり、昼食用のサンドイッチとミルクを買いました。とりあえず、先ずは近くの「橋」へ行ってみました。深い谷には、現在は３層の橋が架かっています。一番下の石橋が、最古の橋のようです。確かに直下３０ｍの深い谷に、古い橋が架かっていました。とても人間技で無いということで、「悪魔（Devil）の」なる名前を付けたようです。我が日本でも人間技でない構造物に、「鬼の洗濯板」などの名前を付ける例が見られます。「悪魔と鬼」の違いはあっても、洋の東西を問わず人間の発想に違いは無いようです。</font><font color="#0000ff" size="5"><br /><img height="304" src="http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tsunopi/devils/Scan10342.JPG" width="441" border="0" />　<br />列車は、終点の「悪魔の橋」に着きました。駅名には、ウェールズ語の標示も見えます。標高６３９フィート（約２１０ｍ）と書かれています。<br /></font></b><br /></p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">イギリス</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 29 Sep 2008 15:47:37 +0900</pubDate>
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